#1 ロケットリーグRed Bull 5G優勝者のYuhiにインタビュー!

 

〜思春期の海外在住経験は”タフな”マインドセットを生む?〜

 

 

画面の前のみなさん、どうもこんにちは!
ゲーム大好き、ゲーマー大好き、そして何よりWekidsが大好き!
あまりの愛おしさにWekidsの自慢ツイートをしすぎた結果、Twitterをミュートするぞと友人に脅されているインターン生のMisakiです。

さて、始まりました!社内スタッフを全員インタビューしちゃおう企画。
記念すべき第一弾は、ロケットリーグのRed Bull 5G 2016 FINALSにて優勝を果たした「人差し指の君」ことYuhiさんにお話を伺いました。

WekidsではとことんいじられキャラなYuhiさんですが、187cmの高身長を持つ彼は、なんとゲームはもちろん、バスケもクラブチームで優勝経験有り、更には英語まで堪能な、歌えるスーパー帰国子女!
そんな個性あふれるYuhiさんが、今までどんな人生を歩み、どのような姿勢でゲームと向き合ってきたのか、そしてどのようにしてWekidsでステップアップを果たしているのか。
根掘り葉掘りお伺いしてきました。

 

求められるスキルと能力のギャップへの悔しさをバネに、色んな壁を超える力に

 

ーーー普段の業務内容について教えてください!

Yuhi 職種としては、アシスタントゲームスペシャリストをしています。
Wekidsでいうところの、いわゆる”ゲーマー”として各案件にアサインされていく職種です。
とはいえ、あくまでゲーマーとしての視点や経験、能力を活かした上で、案件毎にTwitter・LINEの制作運用や、番組制作のディレクション、プロモーションのプランニング等をしていくので、それらを今は一つ一つ経験しながらスキルアップしている最中です。

最近だと、担当ゲームの生放送番組の一連の流れを取り仕切ってます。
クライアント様との打合せから、協力会社様との連携、放送後の分析・報告などですね。
ついこの間までは、CEOと一緒に新規案件の企画から提案資料の作成などもしていました。
日々自分のスキルの質と業務で求められるスキルのギャップを痛感しながら、色んな壁にぶつかっている段階ですが、精一杯頑張っています。

 

ーーー子供の頃の夢はどんなものでしたか?

Yuhi 宇宙飛行士やゲーム屋さんでした。
中学生くらいの頃に、保育士を志したこともありました。
図体(187cm)を見て頂けたら分かるように、子供に好かれるんですよね。
それがとても嬉しくて。

ただ保育士一本で食っていけるかと言われたら、また難しいところがあるんですよね。
両親からも猛烈に反対されて、結局諦めました。
今思えば、ゲーム屋さんになりたかったのも、ゲームを作りたいというよりは、ゲームを売ることで子供に関わりたかったんじゃないかなと思っています。
それが、今現在、ウィキパー(Wekidsパーカー)を着てこんなインタビューを受けているなんて想像もしていなかったな!びっくり!

 

 

置いていかれたくないと必死だったアメリカ時代

 

ーーーウィキパーを常用しているあたりにWekidsに強い愛を感じますね!
ところでYuhiさんは帰国子女ということですが?

Yuhi はい。親の転勤で中学生に上がると同時に渡米しました。
高校2年生までを向こうで過ごしていました。
当然、行った当初は言葉の壁にぶつかりました。
一応英語の学習塾には6年間通っていたのですが、やっぱり日本で学ぶスピーキング英語って全然通用しなくて。
本場で実践的に学ばないと身につきづらいのかなと思います。
本当に、トイレの行き方を尋ねる英語すらわからないんですよね(笑)

渡米したての頃、学校の授業中にどうしてもトイレに行きたくなったときがあって。
手を上げたことには上げたんですよね。
そこで一斉にみんなの視線が僕に注目して。
でも僕は英語がわからなかったから、なんにも言えないっていう。
その時はひたすら決め顔をして乗り切りましたね。
フェイスランゲージっていうんですかね。

とにかく、行った直後は相当つらかったです。
時差もあるし、環境の違いもあるし、言葉もわからない。
僕にとっては別次元別空間でした。
最初の2週間はご飯が一切喉を通らなかったですね。

 

ーーートイレ、我慢できなかったんですね…
そんな四面楚歌な状態から、どうやって馴染んだのですか?

 

Yuhi きっかけは、同じ日本人に話しかけてもらったことです。
「僕、日本語喋れるよー」って声をかけてくれて、それからはその子達と休憩時間を一緒に過ごすようになりました。
その中で、彼らの英語の対応を聞いて「ああ、この場面ではこういう返事をするのか」って徐々に理解していきました。

もう最初は雰囲気で喋っていましたね。
響きと抑揚が大事だと感じたので、とりあえず英語風に話すことを心がけていました。
全てが体当たりですね。
授業も全部英語で進んでいくので、早く覚えなきゃ置いて行かれちゃうって必死でした。

 

ーーー涙ぐましい努力です…喋れないことによって差別とかはなかったのですか?

Yuhi ほとんどなかったですね。
僕の越した地域が、英語が達者でない人が多い地域だったんです。
だからこそ、みんなが僕のつたない英語をなんとか分かってくれようとしてくれるんですよね。
そのおかげで、ネイティブの人ともなんの垣根もなく仲良くなれました。
相手が積極的に来てくれたからこそ、俺も恥ずかしげなく話せたし、たくさんの友だちを作れたんだと思います。

高校時代、楽に単位が取れるということもあり、日本語クラスで先生役をしていたのですが、その時に生徒側のブラピ似のイケメンと凄く仲良くなりましたし。
彼、僕のことをふざけて「だいぶつー」って呼んでくるんですけど(笑)
彼とは昼休みにドライブして、外のレストランでご飯を食べたりなんかしていました。
若い男の子のコミュニケーション媒体って大体ゲームかスポーツだと思うんですが、僕はその両方とも大好きだったので、遊び友だちもたくさんできましたよ。
ゲームをするために学校をさぼって、友達の家に泊まって夜通しFPSをするなんてこともありました。

 

ーーー素敵な環境と友だちに恵まれたんですね。アメリカで一番つらかったことってありますか?

Yuhi うーん。セイディーズ(ダンスパーティー)というのがあって、このパーティーは一般的なそれとは違って、女の子が男の子をダンスに誘うんですね。
当時僕には意中の女の子がいて、「俺のこと絶対誘えよっ」て釘をさしておいたんですが…
結局誘われませんでした。
それが1番辛かったですね。

あ、だめ?この話じゃだめ?

 

ーーーだめです。

Yuhi じゃあ、仕切り直しで。
僕の学校って、季節ごとにやるスポーツが変わるクラブチームがあるんです。
そのクラブチームで冬にやるスポーツがバスケなんですけど、僕はストリートでバスケをずっとしていたので、そのクラブチームに入りたくって。
だけど学校のチームはトライアウト制で、つまり試験を突破しなきゃいけないんです。
この試験に通ることが出来なくて。
2軍もあるんだけど、2軍にすら入れなかったっていう。

原因としては、公式戦のルールに慣れていなかったので、公式戦のセオリーが分からないっていうのが大きかったなと思います。
仲間に「こう動くんだよ」と説明されても、ストリートでの荒い動きが染み付いていて、そう簡単には変えられなくて。
それに、試合の中は雑音も多いし、ぱっと英語で指示を出されても聞き取れないんですね。
それがかなり辛くって。
でもそこでへこたれる訳ではなく、反対に英語をいつも以上に必死で勉強するようになりました。
そして、3年次には無事、試合中でのコミュニケーションを円滑に行えるレベルまで達し、1軍のチームに入ることが出来ました。
そしてバスケを通して、友人もたくさん作ることが出来ました。
バスケは、僕にとってかけがえのないものを沢山もたらしてくれたなと思います。

 

 

父の機嫌を損ねないように、常に顔色を伺って生きてきた

 

ーーーアメリカと日本の違いで1番驚いたことってなんですか?

Yuhi 個人的に1番驚いたのはコーラ1Lが80セントで買えちゃうってことです。

 

ーーーはい。日本に帰ってきたのが高校3年生だったと伺いましたが、大変ではなかったですか?将来を考えたり、受験とかもありますよね?

Yuhi 高校3年生って真剣に進路を決めなきゃいけない時期なんですよね。
自分が今何になりたいかなって考えたときに、今までやりたい、なりたいと思ってきたものが全部子供に関わっていることに気づきました。
子供に関わりたい。
じゃあ子供すきなんじゃん。
じゃあ僕の夢、保育士じゃんって思って。
親戚の子供をあずかるときも、愛情を持って接している自分がいるのが分かるし、これは向いていると思いました。
ですが、両親に猛反対を食らってしまって。
稼げない、食っていけない、お金になる仕事をしなさい、と言われて許して貰えませんでした。

僕の父はとても厳格な人で、幼少期からどうしても父にだけは逆らえなかったんですね。
全部父の機嫌を損ねないように、父に言われたとおりに生きてきました。
だから、結局保育士の夢は諦めて、なしくずしに父の薦める経済系の大学に行きました。
経営を学べばなんとかなるという父の言葉に従った形ですね。

 

ーーーお父様と夢との板挟み状態だったと…。それでは、大学生活はどのように過ごしていました?

Yuhi もちろん興味を持てる講義があるわけもなく…講義中は基本的にゲームをして時間を潰していました。
サークルにも、入ることには入ったんですよね。
勿論、父にはこっぴどく怒られました。
コレを言うのは本当に恥ずかしいんですけど、当時僕には門限があったんです。
10時を過ぎたら怒涛の勢いで連絡が来て、日付を越えたら許されない、みたいな。
そして、なんやかんやでサークルも辞めてしまいました。

やりたいことも見つからなくて、講義もつまらない。
サークルも辞めてしまって、大学が何にも楽しくなくて。
僕は大学に何をしにいってるんだろうって。
どんぞこってこういうことだと思いましたね。

大学生時代は、本当にドブに捨ててしまった感があります。

 

やりたくもない仕事って、3年間続けられる?

 

ーーー今のゆうひさんからは、そんな大学生活を送っていたなんて想像もつかないです…。
では、就職はどうなさったんですか?

Yuhi 大学4年生になって、やっぱり父に就職はどうするんだってせっつかれて、楽に入れると思ってパチンコ屋を受けました(笑)
正直やる気は全くなかったです。
自分の人生に絶望していたんですね。
本当に何もやりたいことがなくて。
結局内定はいただけたんですけど、そこでようやくハッとなって。
初めての就職先って3年は続けろってよく言うと思うのですが、
「こんなやりたくもない仕事って、3年間続けられる?」って思って。
愛想振りまいて、おべっかを使って。
だったら、就職浪人をした方がいいのではと思いました。

 

ーーー思い切った決断ですね。就職で悩む若い人は多いと思います。
Yuhiさんは就職浪人を決めて、その後はどんな活動をしていたんですか?

Yuhi 就職浪人をすることになって暫くは、だらだらゲームをして過ごしていました。
でも、そこでやっと僕の運命のゲームであるロケットリーグに出会うんです。

(続)

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#2 Redbull5G優勝、”厳格な父親”の呪縛からゲーマーが解き放たれる瞬間