執念の才人、新たな決意を胸に今歩き出す

 

 

“執念の才人”Hunt(ハント)

「SCARZの元リーダーHuntがRush Gamingに電撃入隊」
そのニュースに、一体どれだけ多くの人が驚かされたのだろうか。
Call of Duty:Black Ops4(以下CoD、BO4)が10月上旬にリリースされ、ロスターは4名から5名に変更。
BO4での活動を予定していたプロチームのほとんどが、新たなメンバーの確保に苦心していたであろう。
Rush Gamingもそれに違わず、5人目のメンバーの選出に頭を悩まされていた。
その最中、選手が口を揃えて次のメンバー候補としてあげたのが、SCARZのリーダーを務め、好敵手として戦っていたHuntだった。
リーダーとしてSCARZを長年守ってきたHuntの実力や、そのゲームへの実直な姿勢は、CoDに詳しい者なら誰もが知るところである。
更にその彼が当時、SCARZ脱退を決め、その後の進退は未定であるという。
引く手数多であることは容易に想像できた。
そんな彼がハセシンからの入隊への打診を受け、最終的にRush Gamingを選ぶに至るまで、きっと多くの葛藤があったであろう。

そうして彗星の如くRush Gamingに入隊したHuntが、今までどんな人生を歩み、どんな姿勢でゲームと向き合い、何を考え、今日に至ったのか。
Rush Gamingに入隊するまでの背景や思い、これまでのゲームライフに迫った。

 

 

野球に身を捧げた幼少時代

 

ーー早速ですが、Huntさんの自己紹介をお願いします。

Rush GamingのHunt(はんと)です。
本来はSMG(サブマシンガン)がメインだったんですが、前チームでAR(アサルトライフル)担当がいなかったので練習してARになりました。
だから、元々はWinRedくんみたいにガンガン攻めるような立ち位置だったんですよ。
それからSearch & DestroyではSR(スナイパーライフル)を持つ人がいなかったので、そちらも凄く練習して、最終的にどこの立ち位置ても動けるようになりました。
現在のメイン武器はARですが、変更するまではずっとSMGを持っていたので、SMGのこうしてほしいという気持ちを考えて立ち回ることができます。
サポートだけでなく、最前線でも戦えるオールラウンドな戦い方ができるのが僕の強みだと思っています。

 

ーーチームが最大限に活躍するために、武器や立ち位置を変えることができる柔軟さもHuntさんの強みのひとつですね!
次に、Huntという名前の由来を教えてください。

実は、由来という由来がないんですよね。
中学校2年生の時にPlayStation3を買って、何を思ったのかHuntっていう名前にしました。
当時はリビングでプレイしていたんですけど、親にもその名前は止めたほうがいいよって言われていました(笑)
よくハンティーと呼ばれているのは、(Hunt)ハントって書いて、(Hun)ハンだけそのまま読んで、tは「ティー」って読むほうが呼びやすいかなと思ってできたニックネームです。

 

ーーそれでは、幼少時代のHuntさんについてお聞きしていきます。
幼少時代のHuntさんは、一言で言うとどんな子供でしたか?

the 野球少年でした。
京都から兵庫に引っ越してきた小学校2年生から野球を始めて、ポジションはピッチャーで、エースでした(笑)
将来的にはプロ野球選手になるのが夢でした。
ゲームも勿論好きだったんですけど、やっぱり外で走り回って遊ぶ方が好きでしたね。
少年団という色々なスポーツをやるコミュニティにも入っていました。
土日に集まって、ドッジボールや卓球等の色んな球技で大会に出場して、たくさん優勝をかっさらっていました。
サッカー以外は割と何でもできます。
サッカーだけは本当に苦手で、ゴールキーパーしかできないんです。

 

ーー野球を始めとして、スポーツが大好きな少年だったんですね。
クラスの人気者というような感じがしますが、この時期に大変なことはありましたか?

転校して環境が変わったことですね。
僕の親が転勤族だったんです。
生まれは兵庫で、1歳の時に名古屋に行って、幼稚園から小学校1年生まで京都にいました。
その後また兵庫に戻ってきたのですが、やっぱり転校は本当に大変でした。
せっかく友達が出来たのにすぐ転校でお別れすることになり、また1からやり直しだったのが本当に辛かったです。
小学校2年生の時に兵庫に戻ってきて、今度は東京に引っ越すという話が出た以降は親が単身赴任するようになりました。
喋れない子ではなかったし、スポーツも得意な方だったので、休み時間に校庭で走り回ったりみんなで遊びに行ったりして、打ち解けることができました。
僕の家が友達同士のたまり場になっていたので、ポケモンをやったり、ゲームキューブでマリオパーティーを友人とやっていました。
ゲームが、友達と仲良くなるためのコミュニケーションツールになっていたと思います。

 

ーー周りに知り合いがいない状況で、前向きに1から関係を構築していくのはとても大変なことだったと思います。それでは、中学時代のHuntさんはどんな少年でしたか?

小学校のときと変わらず野球少年でした(笑)
小学校を卒業後、そのまま地元の中学校に進学しました。
野球部に入って、野球漬けの生活を送っていました。
野球の練習をして、帰宅してご飯を食べて、疲れて寝て、起きて学校に行って、また野球みたいな。
ピッチャーは花形なので、なりたい部員が多く、入部当初は10人弱ほど候補がいました。
僕はピッチャー枠にはぎりぎり3番手で入ることが出来て、背番号18番を貰っていたんですけど、最終的に中学校3年生で1番を貰うことができました。
とにかく野球尽くしの生活でした。
この頃の夢も変わらずプロ野球選手でしたね。

 

ーー1番手のピッチャー…!女の子からの黄色い声援が絶えなかったんじゃないでしょうか。ゲームをやる時間もほとんどなかったのでは?

全然モテていなかったですね(笑)
ゲームもほとんど出来ていませんでした。
野球が生活の中心だったので、中学校の時は本当に趣味でやる程度でした。
CoDやドラクエ、モンハンなんかのちょっと年齢層が高めのゲームを中心にプレイしていました。

 

 

夢が潰えた絶望の中に、一筋の光 

 

ーーそんな野球に一途だったHuntさんですが、高校でも野球は続けていたのですか?

はい、続けていました。
高校も、野球が強くて、良い監督がいると言われていた高校を選びました。
部活も勿論野球部に入部しましたよ。
高校の野球では、中学校時代よりもハードな練習をしていて、部員数も桁違いでした。
ただ、当時は背が一人だけずばぬけて高かったこともあって、監督が凄く目をかけてくれていて。
凄く怖い監督で、部員を個々に気にかけたりしないような方だったんですけど、休み時間に僕のところまで来て、「炭酸を飲んでいないか」とか、「おにぎりは何個食べたんだ」とか、色々話しかけてくれていました。
僕も、監督の期待に応えられるように頑張ろうと練習に取り組んでいましたね。

 

ーーー強豪校の中でもホープだったんですね!

でも、他の部員達にとってはそれが面白くなかったみたいで、妬みのようなものを向けられることが多くありました。
だから、あんまり野球部内での人間関係は良くなくて。
僕も、期待されていた割には結果を残せていなかったので、その焦りもあって練習をやりまくっていました。
そんなオーバーワークが祟って、高校1年生の時に腰と肘と膝を故障してしまったんです。
肘は動かしたら少し痛む程度だったんですけど、腰と足が酷くて、階段を降りるのにも一苦労するくらいでした。
それでもリハビリをしながら野球を続けてたんですけど、やっぱり全然今までどおりには野球ができなくなってしまって。
元々人間関係がうまくいっていなかったのと、期待に応えられなかった申し訳無さで居辛くなってしまい、2年の夏に、野球部を辞めてしまいました。

 

ーー期待に答えるための頑張りが裏目に出てしまうなんて、やり切れないですね……野球部を辞めたあとはどうなさっていたのですか?

とりあえずは今まで優先順位の低かった勉強を…と思いました。
でも、野球をやりたくて入った高校だったので、勉強内容にも興味を持てず、勉強にもついていけずで、八方塞がりでした。
野球を中心に生活していたのに、野球がなくなって僕には何もなくなってしまった…と思いました。
クラス、学年にも辞めた野球部の部員がいたので、人間関係も良くなくて、学校にいるのが凄く苦痛で。
野球をやめたことで一変した生活に馴染めず、結局高校も辞めてしまいました。
CoDに力を入れ始めたのはちょうどその時からです。
親は「それだけCoDを頑張っているなら、どうせなら1番になりなさいよ」「趣味で終わらせずにプロになりなさいよ」って言ってくれました。

 

ーーHuntさんのことを心から応援してくれている素敵なご両親なんですね。それからはCoD一筋ですか?

実は今では学校に通っているんです。
当時の僕にはCoDしかなかったので、プロになるという目標を達成するために没頭していました。
でも、CoDを通して出会った方達に、人生を変えてもらいました。
彼らとは今でも一緒にプレイしたりするんですけど、彼らとCoDで通話する際に高校について色々相談していて。
僕より年上で、色んな経験をしている方たちに沢山相談に乗っていただいたおかげで、もう一度学校に行きたいと思うようになりました。
そのときは高校を辞めてから1年経っていたんですけど、親に「もう一度学校に行かせてください」とお願いして、入試を受けに行きました。
勉強は全くしてこなかったので、勉強の仕方を彼らに教えてもらったり、教材をたくさん購入したりして相当詰め込みました。
人生で1番勉強した期間かもしれないですね。
それで改めて学校に入り直して、現在は4年生です。
相談に乗ってくれた彼ら、そして彼らに出会わせてくれたCoDに本当に感謝しています。

 

ーーCoDでの素敵な出会いのおかげで、今のHuntさんがあるんですね。数あるゲームの中で、どうしてCoDだったのですか?

中学校2年生の頃に友達に誘われて始めたんですけど、他のゲームと違ってCoDだけはずっと続いていたんですよね。
最初は趣味程度だったんですけど、続けていると上達して、それが嬉しくて更にやりこむというのを続けていたんです。
年に1回の新作を毎回買っていて、唯一飽きていなかったゲームだったのがとても大きいと思います。
その中でもeスポーツは、色んなモードがある点が面白いですね。
eスポーツ以外だと、1つのモードを徹底的に鍛えていくのですが、eスポーツはHard Point、Capture The Flag、Search & Destroy、 Uplink、色々あって。
1つだけじゃ駄目で、複数のモードを極めないと勝てないっていうのが良いですよね。
各モードによって戦略が違うのも魅力的ですね。

 

 

SCARZでの選手時代

 

ーーeスポーツ選手になることを目指して意欲的に動き始めたHuntさんですが、実際に選手として活動し出したのはいつ頃のことなのですか?

18歳のときに、SCARZで選手になりました。
Samurai ZyAGというスナイパー専門クランの中のeスポーツチームに所属していたのですが、そのチームがそのままSCARZに入った形です。
Samurai ZyAGには、僕が高校をやめた際に相談していた方の一人に「人数が足りないから助っ人が欲しい」と誘われて、助っ人として参加していたのがきっかけで、入隊することになりました。

 

ーーSCARZにはどのくらい在籍されていたのですか?

SCARZに所属していたのは3年位です。
SCARZのCoD部門設立当初から所属していたので、CoDのプロチーム界で恐らく一番活動歴が長いと思います。最古参です(笑)
SCARZで活動を始めた当時は僕が最年少でしたが、やはり3年という期間はこの業界においては長いですね。
最終的に僕が最年長になっていました。

 

ーーSCARZで活動する上で、どういう部分をモチベーションの源泉にしていましたか?

プロチームに所属している身として負けられないというプレッシャーがモチベーションの源泉でした。
SCARZは最初期に結成されたプロチームで、しかも最初期のメンバーはCoDの各モードのレジェンド達が集まった最強チームと言われていて、かなり注目されていました。
なので、プレッシャーは大きかったのですが、逆にそれが良い刺激剤になっていたと思います。
それから、Rush Gamingも活動のモチベーションに繋がっていました。
Rush Gamingが出てきてからだんだん負け始めるようになって、悔しいと同時に良きライバルが現れた、と思いました。
超えたい相手ができたことで、やる気を触発されました。
また、SCARZには僕が尊敬していたプレイヤーの方がいたのですが、その方が帰ってくる場所を守るために頑張ろうという気持ちも大きかったです。

 

 

Rush Gamingで新たな道を歩むために

 

ーーSCARZ時代のRush Gamingへの印象はどうでしたか?

色んな所で敵として戦っていたのですが、僕らにとってRush Gamingは手強いライバルでした。
一人ひとりのプロ意識が飛び抜けて高いなと思っていました。
Rush Gamingはチーム内で仲が良く、その点は羨ましかったですね。
プレイ面でいうと、やっぱり連携力がずば抜けているなという印象でした。
個々の能力はもちろんですが、とにかく連携面が優れているイメージがありました。
Rushは一人いたらもう一人必ず近くにいる、みたいなことを、SCARZ時代にGPさんと話していました。

 

ーーそれでは、3年間所属したSCARZを辞め、その後Rush Gamingに入ろうと思った経緯を教えてください。

SCARZを辞めた理由としては、新しい環境で挑戦してみたかったというのが一番大きいです。
SCARZでは、ずっとリーダーを務めていたので正直居心地が良かったんですよね。
その環境に甘えていた自分を感じて、その甘えを捨てて新しい環境でやりたいなと思い、SCARZを辞める決断をしました。
そんな時に、ハセシンさんと改めてお話させて頂いたんですよね。
ハセシンさんとは5年位前からの付き合いで凄く良くしてもらっていて、ちょくちょく一緒にゲームで遊んだりしていました。
辞める決意をしてから、他にもお誘いが来てはいたのですが、ハセシンさんのお話を聞いて、1番ゲームに集中できる環境があるのはRushだと思い、Rushを選びました。
配信活動や動画投稿にも力を入れたかったので、注力すればするほど支援してくれるという環境に惹かれました。
僕はかなりやり込むタイプなので、環境面をサポートしてくれるのは個人的にありがたかったですね。
それから、因縁のライバルチームに入るというストーリーにも面白みを感じました(笑)
GreedZzさんとも一緒にゲームをやってみたいと以前から思っていたので、渡りに船でした。

 

ーーでは、その因縁のライバルチームRush Gamingで、Rush Gamingメンバーとして実現したいことはありますか?

選手やWekidsの人同士で強い絆があって、お互いがお互いを認めあっている信頼感があるので、まずは僕も早く皆に信頼してもらえるように、と思っています。
せっかくRush Gamingという新たな環境に飛び込んだので、もっともっと成長していきたいなと思っています。
それから、最近はずっと2位や3位で優勝を取れていなくて悔しいので、Rush Gamingとして日本一を取りたいです。

 

ーーHuntさんの話から、CoDへの愛が伝わってきますが、そんなHuntさんでもCoDをやめたくなったことはありますか?

やめたくなったとき、沢山ありますよ。
大会で負けたときは、特にやめたくなります。
強いチームずっと勝ってきたというプライドがあったので、負けるのは殊更辛かったです。
チーム内で揉めたときとかも、ああもう嫌だ、辞めてしまいたいって思いますし。
それでも、なんだかんだでCoDは日課みたいにやっちゃうし、何よりもCoDが好きだったので、耐え抜くしかないと思って踏みとどまっていました。

 

ーーCoDが大好きという気持ちはやはりHuntさんの中の原動力になってるのですね!スランプ等を経験されたことはありますか?

スランプも、数え切れないくらいありました。
そういうときは、とにかくひたすらプレイしていましたね。
他のゲームをやることが本当にないCoD命な人間なので、交流戦がないときは公開マッチをずっとやっていたりします。
スランプの時はとにかくやり込むしか無いと思っているので、効率的かどうかはおいておいて脇目も振らずプレイしています。

 

ーーeスポーツでの選手歴が長いHuntさんですが、選手に対する周囲の反応はどうでしたか?

eスポーツ選手に対する世間の見方は、段々変わって来ていると思うんですよ。
例えば、今僕が通っている学校では僕がeスポーツ選手であることを周囲に知られているのですが、みんな応援してくれているんですよね。
学校を休むときは、今まではただ仕事とだけ伝えて休んでいたんですけど、周りに聞かれてeスポーツ選手であることを告げたら、「なんで今まで言わなかったの?凄いじゃん」って言ってくれて。
正直もっと批判されるかなと思っていたんですけど、受け入れて応援してくれたので、実感値ではありますが見方が変わってきていると思います。

 

ーープロゲーマーという職種について、どう思われますか?

正直、eスポーツの選手達がプロゲーマーという職種として活躍するにはまだ厳しい環境だと思うんですよね。
でもこれから、僕たちRush Gamingを筆頭としたeスポーツ選手たちがどう活動していくかで、変わっていくと思います。
特にCoDは今年ぐっと動いたので、その波に続いて色んなことが動いていくと思うので、未来に期待しか無いです。
CoDではプロシーンも始まったばかりなので、自分たちが今できることを全力で取り組んで、今後に繋げていけるような活動をしたいですね。

 

 

これからを見据えて

 

ーーありがとうございました、Huntさんの考え方や価値観に触れて、もっとHuntさんを応援したくなったインタビューでした。それでは最後に、CoDを通して出会った方々やファンの方々にコメントを!

僕は小さい頃からゲームが好きな子供でした。
中学校時代は野球が中心の生活でしたが、CoDにはまってからは、野球で疲れてくたくたな状態でも、余った少しの時間でゲームをしていました。
CoDを通して、沢山の大切な人たちに出会えて、その出会いがあったからこそ選手になれたんだと思います。
彼らとの出会いがなかったら、今の僕はないと思っています。
一生大切にしたいと思える人たちとの出会いがきっかけになって、僕は前に進むことができています。
だから、大切な仲間たちや応援してくれている家族に、選手として活躍することで恩を返していきたいなと思っています。
それから、昔からずっと応援してくれているファンでいてくれている人にもお礼を言いたいです。
本当にファンの方々には凄く支えられていたと思います。
ありがとうございました。
これからも精一杯頑張るので、応援よろしくお願い致します。

(インタビュー・編集:向野未咲)